
本日深夜0時過ぎ、無事に自宅にたどり着きました。
そしてひとっ風呂浴び、千通以上のメールの処理がやっと今終わりました…。
(9割5分以上が迷惑メールでした。
なぜタイトルがまだ「vol12」なのかというと、ネット環境などにより伝えられなかったものが若干残っているからです。
ただ今日は朝から会社なので、続きはまたあらためて。
取り急ぎ、無事帰宅のご報告まで。
ホテルにチェックインして早々にシャワーを浴びると、IDP取材時にかぶった砂が、髪から体から赤い水になって流れ落ちていきました。
(結構きめ細かい砂だったので、カメラもメンテナンスに出さないとダメかもしれません。ズームリングを回すと、微妙に「ジャリッ」という音が…)
本来の予定では、現在スーダンで行われている和平交渉に伴い国境沿いに集結しているLRA兵士たちへの取材許可(厳密に言うと微妙に違いますが)を、彼に申し込むつもりだったのです。
が、何度も電話し、さらには軍のオフィスに足繁く通ったものの、結局彼と初めて会えたのは木曜日の夜でした。
電話での口調から繊細で神経質な痩せた人を想像していたのですが、実際のムゲジ氏は、顔を合わせたときが10日ぶりの休みだったこともあって、おしゃれな私服に白いハンチング帽をかぶった丸顔のとても気さくな人でした。
軽くビールを飲みながら話しを進め、この瞬間のために準備していたとっておきの取材依頼(*注1)をすると、「よし分かった。是非その取材には協力したい。ただ明日、明後日はむりだから、来週の月曜日からでどうだ?」と、ことのほか乗り気でした。
が、来週月曜日というと、私はナイロビにいなければなりません。
火曜日には日本行きの飛行機に乗らないと、えらいことになってしまいます…。
こればかりはどうにもならないので、泣く泣く「こういう理由で無理なので、それは来年」と、アフリカで一年後の約束をすること自体まったくもって無意味だと知りつつも、答えるしかありませんでした。
その代わり、金曜日の朝食を食べつつ、インタビューをさせてもらう事になったのです。
(注1)
今まで散々痛い目にあって学習したのですが、取材依頼をするとき、嘘をつくことは絶対に避けなければなりません。
ただ言い回しを変えたり、表現に変化をつけたりすると、最終的な取材対象は同じなのに許可をもらえることがあったりします。
時間にして1時間(*注2)。
色々とインタビューができました。
記事を書くためにも、書籍のためにも、ムゲジ氏へのインタビューは必須だったので、とにかく話しだけでも聞けて良かったです。
(注2)
この1時間のためにも、確実に来てもらうためにできる限りの小細工をしました…。自分でやっておいてなんですが、人間不信になりそうです。

ケニアではまたインターネットに接続できない可能性が高いので、おそらくこれで今回のアフリカレポートは終わりになると思います。
帰国して気力があったら、随時書ききれなかったことを追加します。
おつきあい頂き、ありがとうございました。
人間が生きていくために、水は欠かせないものです。しかし電気はなくても、生きることには事欠かないはず。
昨日は朝からグル地区に水と電力が供給されず、さらには車のトラブルなども重なりインターネットに接続できませんでした。
誘拐され9年もの間ゲリラとして戦っている間に、両親がゲリラに殺され、子どもと共に叔父・叔母の家族と生きる少女。
村から拒絶され、遠く離れた地で遠い親戚と暮らす少年。
グルをはじめウガンダ全体の雰囲気として、「20年続いたこの紛争も、今回こそは本当に終わる」と確信している節があります。
新しい建物が次々と建てられ、インターネットも徐々に普及しはじめるなど、町は確実に紛争終結後に向けて進み始めています。
しかし長期にわたり破壊された人々の心は、簡単に修復出来ません。
そう思い知らされた一日でした。
幸いなことに、昨年・一昨年とセンター一杯に溢れていた200人を超えるリハビリ中の子どもたちは、男女あわせて19人まで減っていましたが、インタビューをさせてもらうと、やはり彼・彼女たちが誘拐されている間に味わった恐怖・悲しみ・苦しみは壮絶で、見かけ上の人数は減ったものの、一人一人の子どもたちを取り巻く状況はなにも変わっていないようです…。
今日12日は、ウガンダ政府が停戦協定の最終期日に指定していた日です。
あいにく現地にいると逆に情報が入ってこないので、明日の新聞かインターネットを確認してみないと分からないのですが、少なくとも今日私が感じた限りでは、グルの町に何も変化はありません。
強いてあげるなら、今日会うことになっていた軍関係者に、二度ほど約束を反故にされたことくらいでしょう。
(軍関係の人は確かにドタバタしているようですが、彼と今日会えなかったのは結構痛手です。「彼のブリーフィングを受けないと、一切撮影も取材もしてはいけません!」とカンパラで言われているし、申し込みたい取材もあったので…)
ただ国連をはじめ大きな流れとしては、国内避難民の帰還に備えるなど、すでに和平交渉締結後の準備に入りつつあるようです。
タイトル通り、昨日無事にウガンダ北部・グルに到着しました。
交渉関係はなんだかんだトラブルがあったものの、今のところ(11日午後10時)特に問題はありません。
なんといっても、今泊まっているアチョリインというホテルにインターネットカフェが併設されていて、なんとブロードバンドなのです!
(電気が来ているときしか使えないので、確実なのはジェネレーターが動き出す夕方からだけですが…)
思い起こせば、初めてグルに来たのは2000年の師走。
同地区で発生していたエボラ出血熱の取材時でした。
当時と比べると、アチョリインホテルもお湯は出るは、部屋はきれいになったは、そしてブロードバンド…。
時の流れに、ちょっと感慨に浸ってしまいました。
(ただ、予約がフルに入っているらしく、13日には追い出されます)
約1年4ヶ月ぶりに来たグル。
まあまあ順調にLRAとウガンダ政府との停戦協定が進んでいるためか、町の雰囲気も以前とは多少違う気がします。
出版予定の本のためにも、雑誌記事のためにも、色々取材したいことは山ほどあるのですが、それは明日からのグルにある関係各所との交渉次第(注1)です。
残り1週間、気合いを入れてがんばります!
(注1)今までの交渉・許可は、あくまでもグル地区で取材活動をするためのもので、何が取材できるかは再度現地で交渉・許可取得しなければなりません。
ですので、毎回のことですが実際に取材・撮影出来る日数は、ほんのわずかなのです…。
いまから軍関係者と会い、その足でウガンダ北部、グル地区に行ってきます。
同地までは車で6時間強。
運が良ければ現地から報告できるかもしれません。
首都カンパラに戻るのは、今のところ金曜日(ウガンダ時間)の予定です。
<追記>
おとといのブログで書いた諸々の事情とは、プレスカード取得の方法が変わっていたこと、5年前から知り合いだった軍関係者が退役していたことことです。
そのため、いろいろと時間が必要になり出発が遅れてしまいました。
一昨日(7日)、午後7時発の飛行機でルワンダを発ち、1時間強のフライトで午後9時過ぎ(注1)にウガンダに到着したのですが、入国の際、久しぶりに無茶苦茶頭にくる出来事がありました。
(注1)ルワンダとウガンダでは1時間の時差があります。ちなみにウガンダと日本の時差は6時間
私の乗ったルワンダ航空がウガンダの空港に到着したのは、ちょうどドバイからのエミレーツ航空到着直後でした。
持ち込みギリギリのジェラルミン製カメラケースを機内に持ち込んでいる私が、一番最後に飛行機を降り、入国手続きの列にたどり着いた時には、私の前に40人近い長蛇の列。
「最悪のタイミングだ。私の順番がくるまでに1時間以上はかかるか…。ホテルに着くのは23時を過ぎるかも」
と肩を落としながら待つこと予想通り1時間強。
やっと私が入国審査官の前にたどり着いたときには周囲に誰もおらず、空港職員の人たちがそそくさと帰り支度をしていました。
しかし、彼らも早く帰りたかったのか、ルワンダ同様にウガンダのビザも空港で取得したのですが、代金30ドルを手渡すとやたらとテキパキと手続きが進み、わずか2分ほどでビザと入国スタンプ付きのパスポートが戻ってきました。
「まだあるかな…」
とちょっと心配しながら機内預けにした荷物を探す私。
すでにベルトコンベアから降ろされてはいたものの、モスグリーンのスーツケースを無事に発見しました。
「良かった。後はホテルまで行ってシャワーを浴びて、明日からに備えてゆっくり寝よう」
入国審査の長い待ち時間からようやく解放され、足取りも軽く税関を通り過ぎようとした矢先、
「そこの人、ちょっと待って!」
と若い男性に呼び止められました。
「何も申告するものはないよ」
今まで一度も税関で引っかかったことのない私は彼に笑顔で答えたのですが
「この中には何が入ってるんだ」
と彼はジェラルミンのカメラバックを指さしました。
「カメラだけど、私はジャーナリストだから仕事用で商品ではないよ。確認する?」(注2)
とカメラバックの鍵を開け、中を見せました。
(注2)プレスカードを取得しない国では、よけいなトラブルを避けるため、ジャーナリストではなく「団体旅行調査官」という架空の職業を名乗っています。自分で作ったIDカードもあったりします。
ここまではどこの税関でもよくある話で、その場で解放されるか中を一度確認した後「行っていいよ」としか言われたことがありません。
彼も同様でバックの中を一目の覗き込むと、興味なさげに「行っていい」と手を振りました。
「とりあえず現地通貨に200ドル両替して、携帯のカードを買わないと」
遅い時間のため両替所と携帯販売店が開いているかどうかを最も心配していた私は、再び鍵を閉め、スーツケースとカメラバックを載せたカートを押し急いで税関から出ようとしました。
まさに到着ゲートに出ようとした瞬間、
「ちょっと待て!誰がそこを通る許可を与えた!!」
と、税関の向かいにある別室から中年の男性の怒鳴り声が耳に入りました。
周囲を見渡しても私以外の入国者はすべて空港の外。
「えっ、私?」と思わず私は自分を指さしてしまいました。
それを無視して、ズカズカと近づいてくる中年男性。
「誰が行って良いと言った?これはいったい何が入ってる。ちょっと、こっちに来い」
と唾をまき散らしながら怒鳴りつけてきました。
後ろめたいことがない私は、「いやいや、彼がOKって言ったんだけど…」
とさっき私の荷物を確認した若い男性を指さしましたが、彼は私と中年男性を一瞥すると、肩をすくめてどこかに消えていきました。
「最悪のケースかも…」
と、その段階でこれから自分の身に起こることが想像でき、げんなりしながら中年男性に抗議すること5分。
「とにかくこっちだ!」
と私のカートを力ずくで奪い取り、別室に連行されました。
別室に入って早々、「おまえ分かってないなぁ。これだよ、コレ」と顔を近づけて体の陰で親指と人差指で丸を作る中年オヤジ。
予想通りの展開です。
今までも似たような体験は何度かあり、結構冷静に対処してこれたのですが、この中年オヤジはダメでした。
どうしても生理的に受け付けない態度と目つき、そして何より顔の間近で話しかけられた時、彼の口臭がすさまじく、吐き気がしたのです。
「こいつには絶対に賄賂を払わない!!」
長時間入国で待たされたこともあってか、近年稀に見る怒りを覚えた私は、軍隊関係者で同様のケースがあった場合にしか使わない奥の手を使うため、オヤジのIDカードを掴み名前を読み上げました。
そして「今のあなたの行為が正規の職務かどうか、今から某所に確認するからちょっと待ってろ!」と怒鳴り、携帯電話を取り出しました。
私の剣幕とジャーナリストなら「某所」と関係があってもおかしくないと気づいたオヤジは、「私の勘違いだった。もう行っていい!」と慌てて慌てて私の手を押さえると、そそくさとその場から立ち去ったのです。
(彼の行為が「某所」に報告されると、後ろに手が回る可能性大なので…)
「よし、勝った!」
去っていくオヤジの後ろ姿を身ながら、一瞬そう思ったものの、ウガンダ入国早々、とても不愉快な気分になってしまいました。
実は、ウガンダの携帯カードを購入していないため通話すら出来なかったし、相手先の電話番号もスーツケースの中だったので、オヤジが止めてくれないと、ハッタリがばれてしまうところでしたが…。
ただ入国してからは、手続き関係以外は快適です。
ウガンダの定宿はLANケーブルが設置されていて今もソコソコの速度で接続できています。
グル地区への出発は諸々の事情があり、月曜日になってしまいそうです。
詳しくは今夜にでも報告します。
明日、ルワンダでの取材を終え、ウガンダに向かいます。
ルワンダではホテルのインフラが退化していたため、またPCの接続で苦労しましたが、ウガンダは大丈夫なはず!
(すくなくともカンパラは…)
ではでは、次回はウガンダから。
彼女と初めて出会ったのは、当時ルワンダにあった「TOFU屋」を取材したときでした。
可愛い白の洋服を着たコロンベは、レンズを向ける見慣れない外国人の私に満面の笑みを浮かべてくれました。
当時、これからどのようにしてルワンダを取材していけば良いのか悩んでいた私は、屈託のない彼女の笑顔に一瞬で魅了され、それをきっかけに「彼女が成長していく姿を通して、ルワンダという国を見つめていこう」と思うようになりました。
先の内戦が集結してしばらくした頃、赤ん坊だったコロンベは、ボロボロの布でくるまれ孤児院の前に捨てられていました。
偶然通りかかったルワンダで「TOFU屋」を立ち上げたマドレーヌという女性がコロンベを見つけ、家に連れて帰り育てるようになったのです。
それから11年、「TOFU屋」はマドレーヌがイタリアに出稼ぎに行ったことをきっかけに人の手に渡り、コロンベも「TOFU屋」の従業員だったテレサという女性に引き取られ彼女の家で育てられています。
数年前、私の姿を見ると大慌てで隠れたり、目を合わしてくれない時期があり、勝手に「コロンベは自分の娘だ」と思い、毎年その成長を楽しみにルワンダに来ている私は、「嫌われたのかも…」と、とてもショックを受けた時期がありました。
でも今年は、カメラに興味を示したコロンベと、二人でテレサの家族を写したり、一緒にサッカーボールで遊んだりと、娘と充実した幸せな時間を過ごせました。
すくすくと毎年成長していくコロンベ。
ちょっと痩せすぎなのが心配なのですが、これからも彼女が笑顔で居続けられるよう、ルワンダに平穏が続くことを心から祈っています。
<追記>
いつもの事なのですが、アフリカを取材していて本当に困るのが数字に関してです。
コロンベの年齢も、その生い立ちを聞いている限りでは少なくとも11歳になっていなければならないのですが、昨年聞いたときは「7歳」、今年は「10歳」でした…。(ちなみに一昨年も7歳)
取材の帰り、タクシー乗り場までテレサとコロンベに送ってもらっていた時、何人かコロンベの同級生たちと出会ったのですが、どう見ても一回りコロンベの体のほうが大きかったです…。
昨日、ルワンダに到着しました。
心配だったビザ。
難所はケニアの空港でした。
ルワンダ行きの飛行機に搭乗する際に、ビザを持っているかどうかの確認があり、
「持ってません」
と伝えると、赤い制服を着た女性係員は「ビザを空港で取得するにはルワンダ在住の人からのレターがいる。それもない人は入国できないので、飛行機に乗せるわけにはいきません」と冷たく言い放ちボーディングパスを私に突き返してきたのです。
「いやいや大使館が火事になったせいで取れなかったのだし、空港で取れることは確認済みだ」と内心(やっぱりダメなのか!?)とドキドキしながら反論すると、「そんなはずはない。ビザもレターもない人は出国させられません」と(なにを馬鹿のことをいってるのこの人は…)と思っている事を明確に物語る目で断定する女性係員。
(マジっすか…。ちょっとやばいかも)と思いつつも、表面上は冷静を装いつつ「そんなはずはない、ちょっとこれを見てください」と、旅行会社のオンライン予約システム上に記されていた「ルワンダ大使館がある国から入国する人間は事前にビザを取得しておくこと。ただし、非常時はその限りではない」とルワンダのビザに関する注意事項が書かれた紙を見せる私。
それを無造作に私の手から奪い取った女性職員は、内容を一瞥すると「今確認するからまっててください」と、トランシーバーで数人の人を呼び寄せ、私のボーディングパスを手にああでもないこうでもないと議論を始めました。
若干不安になりながも待つこと10分。
「ルワンダの空港で取れることが確認されましたので、どうぞ。もう出発時間が迫ってますのでお急ぎください」とさっきまでとは打って変わった営業スマイルでボーディングパスを私に手渡してきました。
その後、ダブルブッキングがあったらしく、1時間以上飛行機内でまたされはしましたが、ルワンダ空港でのビザ発給もスムーズにいき、無事に今はいつもの定宿にいます。
今日は日曜日なので諸々の用事を済ませ、明日、8年前から追いかけている戦災孤児の女の子コロンベに会いに行ってきます。
<追記>
ケニアでの接続は、ある程度あきらめていたのですが、ルワンダの定宿「イシンビ」でもインターネットへの接続ができなくなってしまいました。
去年までは部屋直接外線電話をかけられたので、キガリ市内にあるアクセスポイントでローミングサービスを利用できたのですが、今年からは一度レセプションを通さないと、外線につなげなくなってしまったのです。
ルワンダをはじめケニアでも、国全体としてはIT関係のインフラは確実に整備されてきているのですが、どうも私が気にいっているホテルに関しては、時代と逆行している気配が…。
彼女たちは「アルゴリズム体操」と「アルゴリズム行進」・「七夕の紙芝居」を、マゴソスクールの子供たちへのプレゼントとして、前々から準備していたのですが、今日の本番では非常に子供たちのウケもよく、さらに彼女たち自身も色々なことを子供たちやそこで生きる人々から学んでくれたようでした。
何度もアフリカに来ているが故に、見えなくなったり感じなくなってしまっていることがあると、彼女たちの感想や立ち居振る舞いを通して改めて教えられました…。
彼女たちは明日からアフリカの大自然を体験するためにサファリツアーに行くそうなのですが、是非、さらにたくさんの事を吸収してくれることを期待しています。
さて、標題の第一のトラブルに関してなのですが、こちらは見事なほど予想外の出来事が起こりました。
今日、次に移動するルワンダのビザ取得のためルワンダ大使館に行こうとしたところ、「ビルが火事になって大使館の業務が行われていない」との話を耳にしました。
「まさかね…」
と半信半疑で大使館のビルにいったところ、周囲には赤いガムテープと黒山の人だかりが…。
警備員の一人に確認したところ、「火事のため入館制限をしています。ルワンダ大使館?どこかで一時的に業務を行ってるんじゃない?」と、とてもありがたくない答えが返ってきました。
本来なら手続きも簡単で翌日には入手できるはずのルワンダビザ。
まったくもって寝耳に水でしたが、幸い方々に手を尽くした結果「ルワンダの空港でとれるはず」とのことに今はなっています。
実際にいってみないとわからないのがアフリカなので、けっして楽観視はできませんが、なんとか第一のトラブルは突破できそうです。(たぶん…)
<追記>
後で知ったことなのですが、よりによって出火元がルワンダ大使館だという話です。
いったいあの大使館で、なにをすれば火が出るのか…
いよいよ本日出発です。
やっと荷物を詰め終わりました。
もちろん、一睡もしていません…。
ただ昨日帰宅が遅くなってしまったため、今からまだ買い物に行かなければならないのです。
眠い……。
まあ今年は今までと比べると、まだましな方なのですが、今回の取材にあわせて、新しくブログサイトを立ち上げようとしていたのですが、結局間に合いませんでした。
まあ飛行機の中で爆睡することを前提に、気を取り直して、しっかりと取材をしてきたいとおもいます。
アフリカ取材中、いつもよりは頻繁にこのブログを更新していきますので、たまに見に来てやってください。
では、次回はケニアから!
(あっ、でもそういえば昨年、ケニアに着いた日にPCが壊れたんだった。今年は気をつけます)