REALTIME PRESS AFRICA

2007年11月19日

無事帰国~vol17

遅くなってしまいましたが、予定通り11月9日に帰国しました。

驚いたのは、今年はケニア大統領選挙の年だというのに、今のところ体調もまったく問題なく、自宅に戻って携行機材を確認しても何一つ欠けている物はなかったことです。

アフリカに通い始めて過去二度あったケニア大統領選挙。
なぜかその度に痛い目を見ていたため、一部の友人たちには「ケニア大統領選挙に呪われているんじゃない?」と言われ、自分でも薄々そんな気がしていました。
(今までの人生で、財布を落としたり物を盗られたりしたことがあるのはケニアでだけで、さらに大統領選挙の年だけなのです)

1996年年末に行われた大統領選挙を取材するため、ルワンダから空路ケニアに移動中に発症し、危うく命を落としそうになった脳性マラリアを皮切りに、マラリア完治後の1997年年明けに行われた大統領就任式取材時に3日間かけてじっくりとだまされカメラ機材の入ったバックを丸ごと盗まれた前々回の選挙……。

ウガンダで扁桃腺が原因で体調を崩したにもかかわらず勝手にマラリアだと思いこみ、非常に強いマラリア治療薬を飲んだ結果嘔吐と発熱に苦しみながら3日間寝込み、その後再びケニアの大統領就任式を取材中、すさまじい群衆に巻き込まれカメラのレンズ一本と携帯電話をすられ、さらに帰国前日、タクシーに財布を落とし数万円の損失をだした前回の2002年……。

思い起こせばアフリカでの辛い経験の8割は、ケニアの大統領選挙の年に集中しています。
あぁ、そういえば、見知らぬアフリカの散髪屋で髪を切るという愚挙を犯したのも1996年だ……。
(すべての髪の中で前髪が一番短くなり、おまけに額に沿って丸くデザインされたある意味先鋭的な髪型でした)

実は今回、ウガンダからアフリカ入りしたのは時間の節約という意味もあったのですが、なによりもケニアの大統領選挙を警戒してのことでした。
悪いジンクスを断ち切る事ができて本当に良かったです!

ただ、まだ大統領選挙が行われる前なので油断はできませんが……。

日時: 2007年11月19日 21:56 | | コメント (2)

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2007年11月08日

帰国の途へ~vol16(KENYA)

一昨日ケニアに到着し、今から帰国の途に着くべく空港に向かいます。
今回の取材のまとめ、および発表先(ネタ的にちょっと厳しい気がしますが…)は、帰国後に改めてご報告します。

後は飛行機に乗るだけなのですが、なにぶん毎回機内持ち込みの荷物で面倒なことになるので、それだけが心配です。
(機材とPCなど、仕事上重要なものがすべて詰まったジェラルミンのバックなのですが、サイズはギリギリ、さらに重量大幅に超過しているもので…)

日時: 2007年11月08日 19:44 | | コメント (0)

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2007年11月06日

コロンベとの再会と謎~vol15(RWANDA)

一昨日、無事にコロンベと再会できました。
まず驚いたのがその身長です。
昨年と比べて10センチ近く伸びて、150センチ近くになっていました。

そして謎だだったのが年齢。
去年確認したときは12歳ということだったのに、今年はなぜか9歳になっていました…。
家族にも本人にも何度も何度も「去年より年齢が減るのはおかしいでしょ」と確認したのですが、「アフリカではよくあることよ」の一言で、結論は9歳になってしまいました。

学校が休みの時期に入っているということで、一学年上の友人が遊びに来ていたのですが、身長差が10センチ近くあり、どうみても9歳というには無理があると思うのですが…。

年齢・家族構成はアフリカを取材していつも悩まされる二大要素なので、まあ仕方がないとして、兎にも角にも一年ぶりのコロンベとの再会は非常に幸せなひとときでした。

いよいよ明日はケニアに移動し、帰国の途につきます。

コロンベ
友人といるときのコロンベ(左)は本当に楽しそうだった

日時: 2007年11月06日 07:34 | | コメント (0)

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2007年11月03日

ルワンダ着~vol14(RWANDA)

ルワンダ・キガリ市郊外
初めてルワンダを訪れた1995年には想像し得なかった、美しい光景が広がるキガリ市

昨日無事にDRコンゴからルワンダの首都キガリに到着しました。
2週間前にも1日だけキガリに滞在したのですが、長年通い慣れているせいか、やはりキガリに来るとホッとします。
ただ毎年確実に綺麗に整備されていく町の姿を見ていると、なんだか微妙な違和感を覚えるのです。 ちなみにルワンダでは、バイクタクシーはドライバーも乗客もヘルメット絶対着用、ビニール袋の持ち込み禁止(環境対策)など、私の知る限り、他のアフリカ諸国では聞いたこともないような法律が多々あります。

日時: 2007年11月03日 22:55 | | コメント (0)

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2007年11月01日

DRコンゴからルワンダへ~vol13(DRコンゴ)

授業を受ける子どもたち
授業中の子どもたち。

本日でDRコンゴの取材を終え、明日ルワンダに戻ります。

実は1996年の内紛時にも、現在いるゴマの町を訪問しようとしたことがありました。

(国境で、「ジャーナリストは入国させない」と追い返されました…)


あれから11年。

ゴマの町は想像していたよりも美しく、さらに活気に満ち満ちていました。

しかし残念ながら、複数の武装勢力が争っている現在の複雑な状況を考えると、いつ再び戦渦に巻き込まれてしまうか分かりません。


美しく肥えた土地を持ち、豊富な地下資源があるが故の悲劇。

この地域の紛争は私が長期取材しているルワンダ・ウガンダとも密接な関係にあると、資料や人の話だけでなく肌で感じることができたので、可能であればまた次回も取材に訪れたいと思います。

日時: 2007年11月01日 20:09 | | コメント (0)

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2007年10月31日

食料配給~vol12(DRコンゴ)

食糧配給が行われるということで、昨日はラクベルIDP'sキャンプに行ってきました。昨年ウガンダ北部でも食糧配給を取材しましたが、避難民の人たちにとって食糧配給は死活問題であるため、人々の目がとても真剣で時には怒声も飛び交っていました。
すでに言い古された言葉ですが、水と食べ物の大切さと重要さを改めて考えさせられました。

ラクベルIDP'sキャンプ
9000人が暮らすといわれるラクベルIDP'sキャンプ
食糧配給用の小麦を積んだトラック
配られていたのは、小麦と、クッキングオイルなど

幼い弟を背負う子ども
厳しい生活を強いられている子どもたち
独特の髪型をした女性
炎天下の下、数時間待ち続け、やっと自分の順番がきた女性

拡声器で注意をするキャンプのリーダー
不正が行われないように拡声器で注意をするキャンプのリーダー
配給を受けるのに必要な引き換え券を手渡す年配の女性
配給を受けるのに必要な引き換え券を手渡す年配の女性

小麦の入った袋を運ぶ女性
40kgはある小麦の入った袋を運ぶ女性。

日時: 2007年10月31日 23:18 | | コメント (0)

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2007年10月27日

国内避難民キャンプ~vol12(DRコンゴ)

ゴマ近郊にあるブヒンバIDP'sキャンプに取材に行きました。
ゴマから車で20分ほど西に行った所にある同キャンプには、8月末の戦闘によりルチュル(先日私も取材に行った)から逃げてきた国内避難民が2500人ほど暮らしています。

ブヒンバIDP'sキャンプ
8月末にルチュルで起きた戦闘から逃れた人々が、約2500人暮らしている
祖母と少年
寂しげな目をして一人で昼食を食べる少年

水をくむ幼女
給水車から引かれた蛇口から水をくむ幼女
水を運ぶ兄弟
水汲みは幼い子どもたちと女性の仕事

男とキャンプ
小高い丘に新しく作られている給水塔の周囲には、男たちがたむろしていた
IDPの子どもたち
厳しい環境下の生活でも、笑顔と茶目っ気を忘れない子どもたち



*日本語入力ができない環境だったため、この記事は10月29日に投稿しました。

日時: 2007年10月27日 20:36 | | コメント (0)

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2007年10月26日

美しい自然~vol11(DRコンゴ)

マシシからの帰路、標高2050メートルの町で出会った景色です。

まるで山々が白いシルクを纏ったようで、非常に幻想的でした。

しかし残念なこととに同地域は戦略上の要所であるため戦闘が頻繁におこり、現在はゲリラ軍が支配しています。

霧と山の美しい景色
マシシからの帰路出会った幻想的な景色





*日本語入力ができない環境だったため、この記事は10月29日に投稿しました。

日時: 2007年10月26日 20:20 | | コメント (0)

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2007年10月25日

天災・人災~vol10(DRコンゴ)

25・26日とマシシという町に行ってきました。

ニイラコンゴ山
2002年の噴火でゴマの町に大きな被害を出したニイラコンゴ山。シルエットが富士山に似ているため、なんとなく親近感が湧く
溶岩が流れた後
2002年の噴火で流れ出した溶岩の後。大地を焼きながら流れた溶岩は  キロ離れたキブ湖まで達した

IDP
マシシにも紛争により自宅から逃げ出した多くのIDP'sがいた
ニョンゲラ国内避難民キャンプ
ニョンゲラ国内避難民キャンプ

木で作られた自転車と子ども
木で作られた自転車で荷物を運ぶ子どもたち
薪を運ぶ少女
貧しい家庭の子どもたちは薪運びをして家庭を助ける

MONUCインド軍の昼食
マシシでは国連インド軍のコンパウンドに職泊させてもらった。もちろん食事はインドカレー



*日本語入力ができない環境だったため、この記事は10月29日に投稿しました。

日時: 2007年10月25日 19:48 | | コメント (0)

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2007年10月23日

DRコンゴより~vol9(DRコンゴ)

無事にDRコンゴの東部に位置する町「ゴマ」に着き、UNHCRの協力を受け取材中です。

ゴマは1994年のルワンダ内戦時に逃げ込んだ多数の難民がキャンプを作り、その治安維持のために日本の自衛隊が派遣された場所でもあります。


いまそのゴマを含めDRコンゴ東北部で、豊かな地下資源を巡りいくつもの武装組織が関与した複雑な紛争が行われています。

ゴマの町は非常に平和で活気に溢れていますが、周囲の県ではまだ戦闘が頻発しています。


本来はもっと詳しく説明しなければならないのですが、ちょっと文章を書いている時間がないので、取り急ぎ写真だけアップします。
内容に関しては、落ち着いてから紹介します。

国連軍の戦車
戦闘がまだ続いているため、要所要所に国連軍が展開している。移動中も防弾チョッキとヘルメット着用が義務づけられた場所もあった
IDP's
戦闘を避けるため自宅を逃れ国内避難民となる人々が後を絶たない(ルチュル)

IDP'sキャンプで暮らす人々
以前に取材したウガンダの国内避難民キャンプ同様、人々の暮らしは本当に厳しい(ルチュル)
ニョンゲラIDP'sキャンプ
ニョンゲラ国内避難民キャンプ(ルチュル)

IDP's
以前、ルワンダ内戦(1994年)により流出した難民たちが、生活のために国立公園内の木々を大伐採し問題になったため、今回は慎重に運営が行われている(ルチュル)
IDP'sキャンプ
最近新たに整備されたキャンプは性別で分けられたトイレなどもあり、ウガンダ北部のキャンプと比較すると特に衛生面では優れているように見えた(ルチュル)

散髪をする人々
複数の勢力による戦闘が頻繁に行われているため、いつ自宅に戻られるか分からない状態で、人々は生活を営んでいる(ルチュル)



*日本語入力ができない環境だったため、この記事は10月29日に投稿しました。

日時: 2007年10月23日 19:19 | | コメント (0)

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