グルへの道程。許可との闘い~vol5(UGANDA)

グルの町中
強い日差しが差すグルの町中。しかし夜になると長袖が必要なほど冷え込む
グルは本当に平和になりました。
一昨年訪れた時にも感じたのですが、町の雰囲気が数年前とはまるっきり違います。
道にはバイクタクシーや自転車タクシーが溢れ、その中を縫うように縦横無尽に歩く人々の表情は一様に明るく、去年までは頻繁に目にした軍服姿の兵士を見かけることはほとんどありません。

エボラ出血熱を取材するために初めてグルを訪れ、偶然の連鎖から子ども兵士を取材をするようになって7年。
取材開始当初のLRA(神の抵抗軍)は、まだスーダン政府から正式に援助を受けていたため(注1)、兵力・武装とも非常に充実した状態で、政府軍が駐留するグルの町でさえ、夜になるとゲリラが進入してくるから町はずれは危険だと言われていました。
(実際に私も、深夜にホテルの裏庭を走り抜けるそれらしき姿を見たことがあります)

そのため脱走に成功したり、政府軍に救出される子どもも稀で、リハビリセンターにはわずか15人ほどの子どもたちしかいませんでした。
ワールドビジョン・グルの中庭
一年ぶりに訪れたリハビリセンター。雑草が茂り人影がなくなった中庭には錆びたブランコがひっそりとたたずんでいた
しかし数年がたち、ウガンダ・スーダン両政府が和解し互いに国内に抱えるゲリラ対しての援助を双方とも打ち切ることで合意し、ウガンダ政府軍がスーダン領内で軍事行動を行う「鉄の拳作戦」が開始された頃から状況が一変します。

様々な要因により弱体化し始めたLRAは方々に綻びが生じ、行軍中の脱走、戦闘中の投降、LRA司令官による解放など、誘拐されていた子どもたちの脱出が相次ぎ、当時グルに2カ所あったリハビリセンターで治療中の子どもは800人を超えていました。
(毎年取材時にジュースとビスケットを手土産にしていたのですが、想像以上に子どもたちがいて帰りのガソリン代が足りなくなったこともありました…)

そして今年、2007年。
昨年夏から続くLRAとウガンダ政府の和平交渉は、一年以上を経てもまだ完全に締結されていませんが、新たな誘拐や戦闘は皆無になり、良い意味でも悪い意味でもグルを含めたウガンダ北部は、今大きな転換期を迎えています。

国際機関や海外のNGOの活動も昨年までの緊急援助から開発援助に完全にシフトし、様々な資材を積んだトラックが行き交い、町のあちらこちらで小綺麗な建物が建設され、経済活動も活発になっています。
(しかしそれに伴う地価高騰、若干のインフレ傾向、経済格差の拡大という問題も発生しつつありますが…)


笑顔で写真を見るニコラス
昨年撮影させてもらった写真を手渡すと、笑顔で家族と見入ってくれた
ところが、社会が落ち着けば落ち着くほど困ることがあります。

それは取材許可の取得が非常に煩雑化することです。
昨年までは現場の責任者による許可を得れば良かったことが、すべて首都カンパラや国外の本部に正式な取材依頼をし、そこから許可を得ないと許されないのです。
(それが当然であることは十分承知していますし、事前に確認してこなかった私が愚かなのですが…)

そのような事情で危うくニコラスとも会えなくなるところでしたが、粘って粘って、何とか許可を得て彼の自宅に行くことができました。
私には必ずニコラスに会わなければならない理由があったのです。


続く~もうすぐ店が閉まりそうなので

このページの先頭へ

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)

検索


最近のエントリー

カテゴリー

アーカイブ


(c) 1998-2007 Yasuki Shimomura