2007年10月 アーカイブ

2007年10月08日

アフリカへ

Colonbe.gif
もちろんコロンベにも会いに行きます!
突然ですが、本日よりアフリカに行ってきます。 出発が決まったのは2週間ほど前だったのですが、何かとドタバタしていて、気がつけば当日になっていました。


現在、午前5時…。 もちろん準備は終わっていません。。


今回の日程は10月8日から11月9日まで。 【取材予定地】 ウガンダ(10月9日~19日) ルワンダ(10月20・21日、11月上旬) DRコンゴ(10月22日~11月上旬) の予定です。

日本にいるときとは違い、現地ではこまめに更新しますので、どうぞお時間がある時にでも覗いてください。



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2007年10月11日

ウガンダ到着~vol1(UGANDA)

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エチオピアを経由し、ウガンダへ向かう機中から
一昨日、無事にウガンダに到着しました。 ウガンダの空の玄関「エンテベ国際空港」が、来月に迫ったコモンウェルスと呼ばれるエリザベス女王の訪問を控え改装工事中だったため免税店が開いておらず、買いだめする予定だったタバコを買えなかったのが唯一のトラブルといえばトラブルです。
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エコノミーでもすべての座席にテレビが付いていて、映画やゲームが楽しめる
今回はエミレーツ航空を利用し、羽田空港→関空→ドバイ(アラブ首長国連邦)→エチオピア→ウガンダというルートで来たのですが、羽田を出てからウガンダまでわずか24時間です。以前はロシアのアエロフロートや、インド航空などを利用していましたが、いかんせん乗り継ぎが悪く行きは2日、帰りは3日(日付変更線の関係)かかっていたため、日程の限られている今はとてもありがたい路線です。

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ウガンダのエンテベ国際空港。なぜか白線に囲まれた事故機が放置されていた
約1年ぶりのウガンダ。昨年からすでに始まっていましたが、いまだ町中が建設ラッシュです。エリザベス女王の訪問は非常に大きなイベントであるため、町中に小綺麗なものから豪華絢爛なものまで、「どう考えてもコモンウェルスが終わったら、供給過多でしょ…」と思うほど続々とホテルが建てられています。

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世界第3位の湖水面積を持つビクトリア湖。昨年一部で話題になった「ダーウィンの悪夢」という映画の舞台でもある
まあそれはさておき、2000年のエボラ取材依頼の友人であるスティーブンに連れられ、彼がコテージを建設予定のビクトリア湖畔に連れて行ってもらいました。
ゆっくり流れる時間と、豊かな笑顔を湛える人々。
やっぱりアフリカに戻ってくると、落ち着きます。

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2007年10月12日

強烈なスコール~vol2(UGANDA)

本日のランチ
ウガンダの一般的なランチブッフェ
明日から今回のメイン取材地、ウガンダ北部に行ってきます。
滞在予定は1週間。

書く書くと言い続けて早3年近くが立とうとしている子ども兵士の本の最終的な取材になる予定です。

昨日プレスカードを取得し、昨年は必要だったウガンダ軍による取材許可をさらに取得しにいったところ、軍の広報責任者クライジェ氏に「いやいや、もうそんな許可は必要ないよ。ウガンダ北部は平和そのものだ」と言われました。

今回の取材で一番しっかりしておきたいのは、リハビリを終えて日常生活に戻った元子ども兵士たちの生きている姿なので、軍の許可なしに色々なところに行けるのはありがたい限りです。
強烈なスコール
トタン屋根を打つ雨音が凄まじく、会話ができない
ただ問題が何もないわけではなく、私が一番心配しているのは天候です。

BBCやCNNでも報じられていますが、ウガンダ東部では洪水による大きな被害が出ているようで、それを裏付けるかのように今日、ランチを食べていたら凄まじいスコールに襲われました。

携行機材のほぼすべてが電子機器であるため、雨が降ってしまうと様々な制約が発生してしまうのです。
もっとも天候ばかりは、いかんともしがたいので、ただ祈るだけです…。

おそらくウガンダ北部からもネットに接続できるはずなので、次回はウガンダ北部からお届けします。

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グル到着~vol3 (UGANDA)

数時間前に無事、ウガンダ北部最大の町グルに到着しました。
が、今日はラマダンあけですべてが休み。さらに明日は土曜日。
予定が大きく大きく狂いました。

グルの町は見違えるほど発展しているのですが、通信事情はなぜか悪化。
まず最初に、昨年ビジネスセンターがあったアチョリインというホテルにチェックインをしに行ったのですが、PCが壊れたとのことでビジネスセンターは物置になっていました。

そしていまこれを接続しているインターネットカフェも、町の一部が停電中のため電力はジェネレーター頼みという危うさです。

首都カンパラからの道中何枚か写真を撮ったので、明日にでも改めてアップします。
ではでは、取り急ぎ無事到着のご報告まで。

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2007年10月13日

グルへの道程~vol4 (UGANDA)

今日は土曜日。

昨日のラマダン明けによる休日に続く3連休の中日です。

当初の予定では、昨日グルに到着後、関係各所に来週の取材アポイントを取り、その後長年通っているNGOから昨年撮影させてもらった子どもたちの現在の所在を聞き、この週末に写真を手渡しに行くとともに近況を聞かせてもらおうと考えていました。

しかし予定外の3連休。

毎度のことながら、なかなか予定通りには進まないものですね。

まあこのアバウトさに何度も助けられ、さらにそのアバウトさが私にとっては居心地が良いのも、アフリカを好きな理由の一つなので、勝手なときばかり文句はいえません。

ということで、昨日グルに来るまでの道程を紹介します。


日本の援助でウガンダの首都カンパラに立てられた、日本式の信号機
日本の援助でウガンダの首都カンパラに立てられた、日本式の信号機。「信号ができてから、渋滞は減ってるよ」地元ドライバーの評判もまずまずだった
とにかく、カンパラ市内は、どこもかしこも渋滞がひどい。

その中で若干スムーズに進んだ交差点にあったのが、日本の援助で立てられた信号機。
今までも何カ所かで見かけてはいたのですが、ずいぶん数が増えたような気がします。


町はずれの渋滞
首都カンパラへ向かう幹線道路は、どこもかしこも車と人で大渋滞
カンパラ市内から北部に向かう幹線道路です。

車は多いわ、バイクや自転車は車線関係なしにそこいら中をすり抜けるわ、突然人は飛び出してくるわ。
日本的な感覚での交通ルールはまったくありません。

ただ地元ならではの「暗黙の了解」があり、渋滞はひどいですがそれなりにうまく回っているようです。

時速100キロ近くで走っていると突然現れる穴ぼこ
時速100キロ近くで走っていると突然現れる穴ぼこ。昨年より確実に道路の状態は悪くなっていた。
北部へ続く幹線道路の一部。

写真の場所は土が剥き出しですが、基本的にはアスファルトで舗装された道です。
ただそのアスファルトにも、同様の穴が…。

もちろん信号などないので、みんなビュンビュン飛ばします。
しかしそのすぐ脇には自転車で荷物を運んでいる人がいたり、通学中の小学生がいたり…。

そして突然現れる方々が陥没した道路。


正直なところ、自分では絶対に運転したくないですし、できません。

ナイル川にかかるカルマ橋
ここ最近の大雨で、ナイル川にかかるカルマ橋付近の水かさも増していた
毎年ナイル川にかるカルマ橋を超えると、「やっとウガンダ北部に来た」という気がします。

初めて来た当時(1999年)は、橋の手前で軍による厳しいチェックがあり、さらに橋を越えても数百メートル毎に歩哨が立っていましたが、いまは軍の姿はなく、人々が平和に行き交う姿だけが続いていました。




長くなってしまったので、続き(グル町中編)はまた明日にでもアップします。

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2007年10月17日

グルへの道程。許可との闘い~vol5(UGANDA)

グルの町中
強い日差しが差すグルの町中。しかし夜になると長袖が必要なほど冷え込む
グルは本当に平和になりました。
一昨年訪れた時にも感じたのですが、町の雰囲気が数年前とはまるっきり違います。
道にはバイクタクシーや自転車タクシーが溢れ、その中を縫うように縦横無尽に歩く人々の表情は一様に明るく、去年までは頻繁に目にした軍服姿の兵士を見かけることはほとんどありません。

エボラ出血熱を取材するために初めてグルを訪れ、偶然の連鎖から子ども兵士を取材をするようになって7年。
取材開始当初のLRA(神の抵抗軍)は、まだスーダン政府から正式に援助を受けていたため(注1)、兵力・武装とも非常に充実した状態で、政府軍が駐留するグルの町でさえ、夜になるとゲリラが進入してくるから町はずれは危険だと言われていました。
(実際に私も、深夜にホテルの裏庭を走り抜けるそれらしき姿を見たことがあります)

そのため脱走に成功したり、政府軍に救出される子どもも稀で、リハビリセンターにはわずか15人ほどの子どもたちしかいませんでした。
ワールドビジョン・グルの中庭
一年ぶりに訪れたリハビリセンター。雑草が茂り人影がなくなった中庭には錆びたブランコがひっそりとたたずんでいた
しかし数年がたち、ウガンダ・スーダン両政府が和解し互いに国内に抱えるゲリラ対しての援助を双方とも打ち切ることで合意し、ウガンダ政府軍がスーダン領内で軍事行動を行う「鉄の拳作戦」が開始された頃から状況が一変します。

様々な要因により弱体化し始めたLRAは方々に綻びが生じ、行軍中の脱走、戦闘中の投降、LRA司令官による解放など、誘拐されていた子どもたちの脱出が相次ぎ、当時グルに2カ所あったリハビリセンターで治療中の子どもは800人を超えていました。
(毎年取材時にジュースとビスケットを手土産にしていたのですが、想像以上に子どもたちがいて帰りのガソリン代が足りなくなったこともありました…)

そして今年、2007年。
昨年夏から続くLRAとウガンダ政府の和平交渉は、一年以上を経てもまだ完全に締結されていませんが、新たな誘拐や戦闘は皆無になり、良い意味でも悪い意味でもグルを含めたウガンダ北部は、今大きな転換期を迎えています。

国際機関や海外のNGOの活動も昨年までの緊急援助から開発援助に完全にシフトし、様々な資材を積んだトラックが行き交い、町のあちらこちらで小綺麗な建物が建設され、経済活動も活発になっています。
(しかしそれに伴う地価高騰、若干のインフレ傾向、経済格差の拡大という問題も発生しつつありますが…)


笑顔で写真を見るニコラス
昨年撮影させてもらった写真を手渡すと、笑顔で家族と見入ってくれた
ところが、社会が落ち着けば落ち着くほど困ることがあります。

それは取材許可の取得が非常に煩雑化することです。
昨年までは現場の責任者による許可を得れば良かったことが、すべて首都カンパラや国外の本部に正式な取材依頼をし、そこから許可を得ないと許されないのです。
(それが当然であることは十分承知していますし、事前に確認してこなかった私が愚かなのですが…)

そのような事情で危うくニコラスとも会えなくなるところでしたが、粘って粘って、何とか許可を得て彼の自宅に行くことができました。
私には必ずニコラスに会わなければならない理由があったのです。


続く~もうすぐ店が閉まりそうなので

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2007年10月18日

ニコラスとの再会~vol6(UGANDA)

ニコラス撮影の写真
ニコラスは写真に興味があるらしく、去年も私からカメラを奪い何度もシャッターを切っていた
今回ニコラスと、どうしても会わなければならなかった理由は、「今日の写真は来年持ってくるからね」と昨年の取材時に交わした彼との約束があったからです。
私をよく知っている方はご存じかと思いますが、私はあまりマメではなく、さらに頻繁に約束を忘れます。
(迷惑をおかけしてことがある方、この場を借りて再度心からお詫びします…)

しかし、ニコラスとの約束だけは、なんとしても守らなければなりませんでした。

なぜなら、「彼はLRAに誘拐されている間の体験が原因で大人を信じられなくなっている」と、インタビューをさせてもらった時に通訳として付き添ってくれていたカウンセラーの方に話を聞いていたからです。
そしてニコラス本人にも、「1年後なんてずいぶん先の話だし、どうせこないんでしょ」と冷めた目で言われました。

ですから何がなんでもニコラスに会って、写真を手渡さなければならなかったのです。
ニコラスの家にて
一年ぶりに会ったニコラス。成長期のはずだが、あまり背が伸びていなかった
一年ぶりにあったニコラスは、ちゃんと私を覚えてくれていて、ちょっと驚いた顔をした後、はにかみながら近づき手を差し出してくれました。
そしてバックから写真を取り出し手渡すと、一緒に暮らしている親戚と笑い声をあげながら次々と写真をめくり「サンキュー」と目を輝かせながら言ってくれました。

その笑顔を見たとき、「昨年より自然に笑えるようになったな~」と思ったのですが、ふと彼の全身を見ると、その姿があまりにも変わっていないことに気付きました。

年齢から考えて一年あればそれなりに体が成長しているはずなのですが、私の肩くらいまでだった身長はほとんど変わらず、体重も増えているようにはみえません。

いまニコラスは彼の両親や兄弟ではなく遠縁にあたる家族と暮らしています。
LRAに一度誘拐された彼は、ウガンダ北部の一部に根強く残る古い風習により「汚れた存在」として、自分が生まれ育った村に戻ってくることを拒否されてしまっているのです。

いままでアフリカを取材してきて何度も目にしたことですが、何らかの問題を抱えた縁者を受け入れている家族は結構あるのですが、やはり自分たちの子どもに対する対応との差が存在します。

笑顔で写真に見入るニコラスとその家族。
銃弾が飛び交う目に見える紛争は終わっても、ウガンダ北部の人々に平穏な日常が戻るには、まだまだ時間がかかりそうです。

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2007年10月19日

ウガンダからルワンダへ~vol7(UGANDA)

来月のコモンウェルスに向けて突貫工事中のホテル
来月のコモンウェルスに向けて突貫工事中のホテル
グル取材は色々トラブルはあったものの、なんとか無事に終わり首都カンパラに戻ってきました。

予定していた内容とは随分違ったものの、ウガンダ北部紛争の重要な要素の一つとなった組織「Holy Spirit's Movement」の創始者アリス・ラクウェナの両親にインタビューができ、さらに「LRA(神の抵抗軍)」の元准将にも話が聞けました。
これでなんとか現在執筆中の本(ウガンタ北部紛争に関する内容)が進みそうです。
(もっとも筆が遅いのでいつになるか分かりませんが…)


日本料理屋「KYOUTO」の寿司カウンター
日本料理屋「KYOUTO」の寿司カウンター
来月のコンモウェルスに向けて猛烈な勢いで準備をしているウガンダ。
昼夜を問わずホテルの建築と道路の補修工事が行われています。

そんななか、今回初めて日本料理屋を見つけました。

太巻きを食べるスティーブン
太巻きを食べるスティーブン
「KYOUTO」といういかにもな名前の店で町の中心部にあります。
せっかくなので、7年来の友人でもあり、今回の取材にも多大な協力をしてくれたスティーブンと一緒に行ってきました。

スティーブンにとっては初めての日本食。
「ある程度おいしくないと日本食が誤解されるかも…」と若干の危惧を抱きながら踏み入れた店内。

朱色をベースに塗られた壁を間接照明で彩った店内の雰囲気はとても良かったです。
生魚は食べたくないというスティーブンのリクエスト(ウガンダには生魚は食べる文化的がありません)で、太巻き・カリフォルニアロール・天丼・ゲソの唐揚げを頼んだのですが……。

スティーブンには「これは日本食ではなく、日本食風の食べ物だ」と説明しておきました。

私にとって最高のウガンダ料理「ルウォンボ」
私にとって最高のウガンダ料理「ルウォンボ」
いよいよ明日はルワンダに移動です。


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2007年10月22日

ルワンダからDRコンゴへ~vol8(RWANDA)

一昨日の夜、無事に到着し今私はルワンダにいます。
ルワンダも一年ぶりなのですが、相変わらず町はきれいで首都キガリは昨年よりも一層近代化が進んだように思います。
ゆっくり町を見て回ったり、9年前から取材させてもらっている戦災孤児のコロンベ(勝手に自分の娘だと思っています)にも会いに行きたいのですが、本日よりDRコンゴのゴマという町に移動するため、楽しみは今月末か来月初頭にキガリに戻ってからにします。
友人に確認したところ、DRコンゴからもネットにつなげるとの事なので、次回はゴマの町から。

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2007年10月23日

DRコンゴより~vol9(DRコンゴ)

無事にDRコンゴの東部に位置する町「ゴマ」に着き、UNHCRの協力を受け取材中です。

ゴマは1994年のルワンダ内戦時に逃げ込んだ多数の難民がキャンプを作り、その治安維持のために日本の自衛隊が派遣された場所でもあります。


いまそのゴマを含めDRコンゴ東北部で、豊かな地下資源を巡りいくつもの武装組織が関与した複雑な紛争が行われています。

ゴマの町は非常に平和で活気に溢れていますが、周囲の県ではまだ戦闘が頻発しています。


本来はもっと詳しく説明しなければならないのですが、ちょっと文章を書いている時間がないので、取り急ぎ写真だけアップします。
内容に関しては、落ち着いてから紹介します。

国連軍の戦車
戦闘がまだ続いているため、要所要所に国連軍が展開している。移動中も防弾チョッキとヘルメット着用が義務づけられた場所もあった
IDP's
戦闘を避けるため自宅を逃れ国内避難民となる人々が後を絶たない(ルチュル)

IDP'sキャンプで暮らす人々
以前に取材したウガンダの国内避難民キャンプ同様、人々の暮らしは本当に厳しい(ルチュル)
ニョンゲラIDP'sキャンプ
ニョンゲラ国内避難民キャンプ(ルチュル)

IDP's
以前、ルワンダ内戦(1994年)により流出した難民たちが、生活のために国立公園内の木々を大伐採し問題になったため、今回は慎重に運営が行われている(ルチュル)
IDP'sキャンプ
最近新たに整備されたキャンプは性別で分けられたトイレなどもあり、ウガンダ北部のキャンプと比較すると特に衛生面では優れているように見えた(ルチュル)

散髪をする人々
複数の勢力による戦闘が頻繁に行われているため、いつ自宅に戻られるか分からない状態で、人々は生活を営んでいる(ルチュル)



*日本語入力ができない環境だったため、この記事は10月29日に投稿しました。

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2007年10月25日

天災・人災~vol10(DRコンゴ)

25・26日とマシシという町に行ってきました。

ニイラコンゴ山
2002年の噴火でゴマの町に大きな被害を出したニイラコンゴ山。シルエットが富士山に似ているため、なんとなく親近感が湧く
溶岩が流れた後
2002年の噴火で流れ出した溶岩の後。大地を焼きながら流れた溶岩は  キロ離れたキブ湖まで達した

IDP
マシシにも紛争により自宅から逃げ出した多くのIDP'sがいた
ニョンゲラ国内避難民キャンプ
ニョンゲラ国内避難民キャンプ

木で作られた自転車と子ども
木で作られた自転車で荷物を運ぶ子どもたち
薪を運ぶ少女
貧しい家庭の子どもたちは薪運びをして家庭を助ける

MONUCインド軍の昼食
マシシでは国連インド軍のコンパウンドに職泊させてもらった。もちろん食事はインドカレー



*日本語入力ができない環境だったため、この記事は10月29日に投稿しました。

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2007年10月26日

美しい自然~vol11(DRコンゴ)

マシシからの帰路、標高2050メートルの町で出会った景色です。

まるで山々が白いシルクを纏ったようで、非常に幻想的でした。

しかし残念なこととに同地域は戦略上の要所であるため戦闘が頻繁におこり、現在はゲリラ軍が支配しています。

霧と山の美しい景色
マシシからの帰路出会った幻想的な景色





*日本語入力ができない環境だったため、この記事は10月29日に投稿しました。

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2007年10月27日

国内避難民キャンプ~vol12(DRコンゴ)

ゴマ近郊にあるブヒンバIDP'sキャンプに取材に行きました。
ゴマから車で20分ほど西に行った所にある同キャンプには、8月末の戦闘によりルチュル(先日私も取材に行った)から逃げてきた国内避難民が2500人ほど暮らしています。

ブヒンバIDP'sキャンプ
8月末にルチュルで起きた戦闘から逃れた人々が、約2500人暮らしている
祖母と少年
寂しげな目をして一人で昼食を食べる少年

水をくむ幼女
給水車から引かれた蛇口から水をくむ幼女
水を運ぶ兄弟
水汲みは幼い子どもたちと女性の仕事

男とキャンプ
小高い丘に新しく作られている給水塔の周囲には、男たちがたむろしていた
IDPの子どもたち
厳しい環境下の生活でも、笑顔と茶目っ気を忘れない子どもたち



*日本語入力ができない環境だったため、この記事は10月29日に投稿しました。

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2007年10月31日

食料配給~vol12(DRコンゴ)

食糧配給が行われるということで、昨日はラクベルIDP'sキャンプに行ってきました。昨年ウガンダ北部でも食糧配給を取材しましたが、避難民の人たちにとって食糧配給は死活問題であるため、人々の目がとても真剣で時には怒声も飛び交っていました。
すでに言い古された言葉ですが、水と食べ物の大切さと重要さを改めて考えさせられました。

ラクベルIDP'sキャンプ
9000人が暮らすといわれるラクベルIDP'sキャンプ
食糧配給用の小麦を積んだトラック
配られていたのは、小麦と、クッキングオイルなど

幼い弟を背負う子ども
厳しい生活を強いられている子どもたち
独特の髪型をした女性
炎天下の下、数時間待ち続け、やっと自分の順番がきた女性

拡声器で注意をするキャンプのリーダー
不正が行われないように拡声器で注意をするキャンプのリーダー
配給を受けるのに必要な引き換え券を手渡す年配の女性
配給を受けるのに必要な引き換え券を手渡す年配の女性

小麦の入った袋を運ぶ女性
40kgはある小麦の入った袋を運ぶ女性。

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